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工藤 明(工藤写真館)

23-1相撲はあまり見ません。のめり込むといい写真が撮れない気がするから。

墨田区では、町の老舗などに残る伝統技術や貴重な資料を、『町の小さな博物館』として保存、一般公開している。両国で、70年近くも相撲の写真を撮り続けてきたこの写真館も、そのひとつである。

「こんなふうに相撲写真の博物館をやってると、『相撲がお好きなんですね』とよく言われるんですが」と工藤さんは笑う。「私は好きでも嫌いでもないんです。本場所は見ないし。うまく言えないけど、あんまり感情移入すると良い写真が撮れない気がして」。
先代が、なぜ国技館の隣に写真館を開いたのかは、両国の国技館といえば全国の人が知っているからという理由でその年に生まれた工藤さんにとって、相撲は生活の一部になっていたのだろう。
「最初は明治神宮の奉納相撲とか、記念行事の記録でしたが、昭和45年以降は十両以上の全力士を写しています。もちろん力士の個人的な写真は昔から撮っていて、昭和の13年(5月に)、人気絶頂の双葉山さんが写真を撮りに来たときは、家中が大騒ぎだったのを覚えてます。北の湖さんには12本の化粧まわしをとっかえひっかえして、太刀持ち露払いを従えて全部のまわし姿を撮ったりね」。
「栃錦さんは実に人柄のいい人でね」とか「柏戸さんはさっぱりした気性だったなぁ」といった思い出話が、次々と飛び出してくる。昭和40年代頃までは、フィルムでなくガラス板だったネガも、大切に保管されている。工藤さんまで含めて、そのまま相撲史の記録館なのである。

「『そんなめずらしいものを持っているなら、みんなに見せたら』と区に言われて、昭和61年から『墨田区小さな博物館・相撲写真資料館』をやってるんですよ。相撲好きの修学旅行生とか、全国からけっこう人が来ます。ひまがあれば、説明もしています」。
中には、今では撮れないような力士たちの日常を写したものもある。
「昔は相撲部屋のほとんどが両国にありましたからね、すぐそこにお相撲さんがいたんです。ウチにも力士がしょっちゅう電話を借りに来てました。あの頃の力士は、昇進のたびにウチに写真を撮りに来て、故郷に送ってたけど、今は簡単なカメラがあるからね。わざわざ来なくなりましたね」。
部屋の多くが郊外に移り、両国で力士を見かける機会も減ってしまった。が、今も力士にとっての『地元』は、両国だろう。東京で本場所が開かれる年3回、相撲取りたちは『勝手知ったる』この町に帰ってくる。彼らがきちんとした記念写真を撮ろうと思えば、工藤写真館を訪れる。関取の結婚式の写真を撮ったり、力士や親方衆との個人的な付き合いも、脈々と続いている。
「32歳になる息子が3代目として家業を継いでがんばってくれております。私?もちろん身体が動く限り写真を撮り続けますよ」。
工藤写真館は、両国の町と相撲を結ぶ、『止め金』のような存在かもしれない。

「相撲写真資料館では、ずっと写真で見る相撲史展をやっていて、ようやく昭和の分が終わりました。初場所からは平成に入ります」と工藤さん。その名の通り、本当に『小さな博物館』だが、ここでしか目にできない写真ばかり。大相撲ファンなら、ぜひ立ち寄りたい場所だ。なお、写真館では、当然ながら一般の方の記念写真も撮影している。横綱、大関たちが写されたのと同じスタジオで写真を撮ることができるのだ。


2004年11月04日 午後03:47 |by PRESSMAN

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