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「両国」っていう地名は、どうして付いたんだろう?

ryougokubashi両国という地名が起こったのは、江戸時代の寛文(1661年〜)年間以降のこと。

その名前は、今もある「両国橋」という橋の名から取られたのである。

それまで幕府は、軍事上の理由から、隅田川に1本の橋も架けていなかったそうだ。
それが寛文元年前後(資料により諸説ある)に、初めて橋が架けられた。
百間(約182メートル)弱に及ぶ、長大な橋だったそうだ。この橋は、武蔵(東京〜埼玉)と下総(千葉)ふたつの国を結ぶ橋なので、「両国橋」と名付けられた。で、そのたもとにある地域を江戸っ子たちが「両国」と呼ぶようになり、やがてそれが地名として定着したのだ。
ちなみに両国橋は江戸時代に五度焼け落ち、二度大水に流されているそうだ。
明治に入って木橋が架けられたが、明治30年に川開きの群衆の重みでらんかんが落ち、7年後に鉄橋に。
が、関東大震災でまた改修。今の橋は昭和七年に架けられた。
橋に歴史あり、だ。


2004年11月15日 午後07:11 |by PRESSMAN

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