100%満足できる仕事なんて、ひとつもありゃしないよ。これから先も、ないだろうね。
遠藤さんの仕事場は、マンションの3階。まるでそこだけが長屋の1室になってしまったように、見事に「三味線職人の仕事場」になっている。
「親父が20歳のときに独立して両国へ来たんだ。ちょうど関東大震災の年。その頃は、3軒続きの長屋でやってたそうだよ。私は15歳の時に職人の修行を始めて、一人立ちしてから長らく一軒家でやってたんだけど。家が古くなったんで、思い切ってマンションを買っちゃったんだ」。
遠藤さんの少し上世代の職人には、いわゆる「宵越しの銭は持たない」という感覚がまだ残っていたそうだ。貯金とか、ましてや家や土地を持つなど、考えられなかったという。
「それがね。今から25年くらい前かな、民謡の大ブームがあってさ。三味線は、平和で景気のいい時代のものなのよ。当時は奥さん連中がこぞって三味線を弾いてね。作るそばから売れちゃうんだ。ウチも若い衆を6人くらい使って、まぁ、今思えば雑になった事もあったね。手をかけるヒマもなかったし。恥ずかしい仕事をしてた時期があった。おかげでこのマンションが買えたんだけどさ(笑)。少しも威張れねぇんだよ」。
大量生産用に、皮を張る機械まで発明し、何台か仲間にも売れたそうだ。
「年に500丁くらい作ってたからね。今はいいとこ30丁かな。東京だけでも100人くらい三味線職人がいるけど、売れなくなった分、みんないい仕事をするようになったよ(笑)。でもね、何から何まで手作業がいいってもんでもねぇんだな。たとえば棹に使う紅木っていう最高級の素材があるんだけど、おそろしく堅いんだ。これを昔は手ノコで引いてた。でも機械で切ったって、何も変わらない。なら機械を使った方がいいだろ」。
それでも三味線というのは、基本的にオーダーメイドでないと作れないものなのだそうだ。
「そりゃそうだよ。だって長唄か端唄か民謡かで、棹の太さもふくらみも重さも皮の張り具合も、全然違うんだから。入門用はともかく、きちんとした三味線は使う本人と会って話をしなきゃ作れないよ。こっちももう50年もやってるから、ちょっと話せばどんな曲を何年くらいやってる人か、すぐわかるけどね」。
今回初めて知ったのだが、三味線の棹の部分は、3つに分解できるのだそうだ。限りなくゼロに近い誤差で、それをつなぐワザは、さすがだ。「ちょいと根気がありゃできるさ」と遠藤さんは言うが。
「ノミで、薄く削るように加工していくんだ。ノミは親父の代から使ってるけど、木が堅いから、10分使うと刃がなまっちゃう。しょっちゅう研いでるから、もとの半分くらいにちびちゃったよ」。
一番難しいのは、皮だそうだ。
「生き物だからね、皮は。1枚1枚、全部違う。こないだも若い職人たちにいろいろ教えてたんだけど、『皮だけは、オレもいまだにわかんない』って言ったんだ。お客さんの思っている音色を出すのが難しく今まで満足できた仕事はひとつもないし、これから先もないだろう」。
三味線づくり半世紀にして、そう語る。
「これまで4000丁くらい作ったけど、全部どこかで妥協してるよね。最高の木、最高の皮、充分な時間、職人の腕と気力、それと使い手の好み、全部がぴたっと合うことは、まずないんだよ。もうちっと若かったら、挑戦するんだがなぁ。金が欲しいとかいいもん作りたいとか、職人はハングリーでギラギラしてないとダメなんだよ」。
職人らしい歯切れのいい口調で、次から次に面白い話を聞かせてくれる遠藤さん。両国という町は、こういう人たちに支えられている町なのである。
※三味線の値段はピンキリ。ちょっといい木を使うと50万円。プロが見て、いいなと思うものは250万円以上するそうだ。
●お問合せ先
山形屋
墨田区両国4丁目35-1三共フラット3階 Tel.03-3631-2037
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